正岡子規の弟子俳人の俳句等古文書●大正2年 高濱詠草 クリアランス 8/42枚 ⑤ 寒川鼠骨(陽光) 考古学者広瀬栄一氏に贈 肉筆 230404

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広瀬氏は京都大学文学部考古学研究室に在籍されていた方でご実家は、日本酒「白菊」で有名な広瀬商店様になります。俳人寒川が37歳の時に広瀬先生のご実家(茨城県石岡市高浜)を訪れて詠んだものであると思います。全て和紙の片面に縦書きされています。大変貴重な資料だと思います。
全部で42枚ありますが少しづつ出品致します。できれば散逸を防ぐためにも一括で購入をされるよう希望致します。
多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てればそして、故郷に帰る事ができれば大変嬉しいです。サイズは20.5×30×8枚で0.3㎝です。写真にあるスケールは全長17㎝です。状態は経年による若干のヤケがあります。発送は追跡可能なクリックポスト185円かレターパックプラス520円かゆうパック60サイズを予定しています。東北関東東海信越北陸地区の場合870円です。
寒川 鼠骨(さむかわ そこつ、1875年(明治8年)11月3日 - 1954年(昭和29年)8月18日)は、正岡子規門下の俳人。病床の子規に侍り、遺族を見守り、遺墨・遺構の保存に尽くした。元伊予松山藩士寒川朝陽(ともあき)と八重(旧姓水野)との三男として、現・松山市三番町に生まれた。本名陽光(あきみつ)。号の鼠骨は粗忽に通じるという。1888年、番町小学校から県立松山中学校に入った。1893年(明治26年)(18歳)、三高の前身京都第三高等中学校へ進み、河東碧梧桐・高浜虚子と同じ下宿に住んだ。碧梧桐が二つ、虚子が一つ年上である。3人して郷土松山の先輩正岡子規を敬い慕い、日本新聞の俳句欄へ投稿し、選者の子規の選を受けた。三高を1895年中退し、京都日の出新聞の記者になった。子規を慕って上京したり大阪朝日新聞に勤めたりしたが、1898年、陸羯南社長の了承と、子規の勧めで日本新聞記者になった。その時の『最も少ない報酬で最も多く最も真面目に働くのがエライ人なんだ』という子規の教えを座右の銘とした。出典:ウィキペディア

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